20220907

気の置けない友だちと会うとき、ごく自然な流れで音楽の話になることが多い。お互いがそれぞれの生活をそれぞれの土地で営む中で、最近発見したいい音楽とか、毎朝支度しながらこの曲やこのアルバムを聴いているとか、このアーティストの(来日)公演があったら行きたいねえ、一緒に行こうねとか。そんな友だちのうちの1人が、以前会ったとき藤井風さんのアルバム・LASAの中だと「ガーデン」が好きだと言っていた時のこと。ひとりになった時にこの曲をちゃんと聴いたらそれまで以上にいいなと思えたし、この曲を好きなのはとてもこの人らしいなと思った。何よりこの日はとてもいい時間を過ごせたから、この日以降、シャッフルで「ガーデン」が流れてくると、この日のことや、この気の置けない友人のことを思い出す。自分が意図していないタイミングで流れてきた曲で、こうしたことが自然と思い出されるのがとても嬉しい。
他にもこんなふうに、誰かと一緒に過ごした時間の記憶や、その人そのものと紐づいている曲がいくつかあって、そんな曲たちにだいぶ支えられている。だから、友だちと会っていい時間を過ごせたなら、最近の好きな曲とか帰り道におすすめの曲を聞き出して自分のものにしちゃったりしている。何気ない曲かもしれないけど、それは過去から未来を照らすあたたかな光になるから。

 

今日はスーパーからの帰り道、いつもの雑なプレイリストを聴いてたらカネコアヤノの「祝日」が流れてきて、思わず口ずさんでしまった(わたしが祝日だからではないんです)。「幸せのためならいくらでもずる賢くいようよ いつまでひとりでいる気だよ」というフレーズを歌ったとき、その歌詞を反芻しながら、わたしはもっと幸せでいることを目指そうと思った。ずる賢いとかそういうのはあんまり得意じゃないけど、幸せでいるために勇気を出すこととか、そのための努力を恥ずかしがらずにしてみたい。