君の眼の奥に今日も宇宙がある

忘れたくない日があって、その日のことを本当はすぐに日記にしたかったんだけど、書き残しておきたい出来事に至るまでのその日の過程とか、説明していくと長くなってしまって、書くのがちょっと億劫になってしまった。記憶がまだ鮮明なうちに、ちょっと気合いを入れて書きます。この「気合いを入れる」はネガティブな意味でエネルギーを使うことではないのだけど、書くことってやっぱりちょっとエネルギーを使うよな、と今思った。

 

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 角川武蔵野ミュージアムの企画展「ファン・ゴッホ -僕には世界がこう見える-」を観に行く。親友とはここで待ち合わせ。ずっと行きたいと思っていたこの美術館は、住宅街を歩いていると突然見えてくる巨大な石みたいだった。本当に石でできていて、要塞(あるいはハリー・ポッターに出てくるアズカバンっぽさもある)みたいでかっこよかった。企画展は、ゴッホの絵画をモチーフにしたプロジェクションマッピングを駆使した映像と音楽の空間で、映画みたいでとても良かった。ゴッホの描いた人物の眼は、自画像も含めてどれも少しだけ悲しそうで、その眼は何を見ていたのか、その眼の奥にはどんな感情があったのか思いを馳せた。

kadcul.com

 

 お昼は都内に向かって、Twitterでフォローしている方がやっている間借りのスパイスカレー屋さんに行った。たまたま都内に行くタイミングでちょうど出店があると知って行ってみた。魚のちょっと酸っぱいカレーとアチャールが特に美味しかった。最後少しだけお話しすることができて、おそらく友達の友達であること、わたしが「祝日」だということを伝えた。「祝日です」と対面で自己紹介するのは初めてだったのでちょっと恥ずかしい。。一緒に来ていた親友は祝日としてのわたしを知らないので(隠してたわけじゃないんだけど、話すタイミングを掴めずにいた)、何それ?となってしまいさらに恥ずかしかった。

 カレーを食べたのは三鷹だったので、吉祥寺の気になるコーヒー屋さんまで歩いて向かう。歩いている間にもいろんな話をした。レジで対応してくれたバリスタさんがめちゃくちゃ素敵な方だった。手元ではハンドドリップでコーヒーを淹れながらも、今日ある豆のラインナップを丁寧に説明してくれて、目を合わせてこちらと話してくれるのがとてもいいなと思った。わたしも普段から接客する上でお客さんと目を合わせることは意識しているけど、目を合わせてもらえることの安心感ってやっぱりあって、それはとても大事なことだと思った。アイスラテは後味が緑茶みたいで不思議、とても美味しかった。

 アップリンク吉祥寺でウォン・カーウァイの「欲望の翼」が観れるとわかって弾丸で観に行った。「恋する惑星」以降の5作品は今特集で各地で上映しているけど、まさか「欲望の翼」をこのタイミングで観れるとは思わずかなり嬉しい。この映画のレスリー・チャンとマギー・チャンがやっぱり好き。前に観た時よりもカリーナ・ラウがいいなと思った。「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない。君とは1分の友達だ。」なんてレスリー・チャンに言われてしまったなら、どうしたって忘れられないと思う。

 映画後は西荻でごはん。街をちょっと歩いているだけで良さげなお店がたくさんあった。ここでもいい出会いがあり、めちゃくちゃ美味しい前菜とティラミスを食べた。帰る駅に向かう途中で、居酒屋でロケをしてる坂上忍を見かけた。宿に着いて、二段ベッドの上と下で濃ゆい話をできたのが良かった。

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 親友と行きたいねと言っていたパン屋さんでモーニングを食べる。数日前にも地元で会った、もうひとりも来るはずなんだけど…二度寝しちゃったらしい。会いたいなー間に合うかなあと思いつつ、「ゆっくりでいいので来れたら来てくださいー」とLINEを送る。ピーナッツバタートーストが美味しかった。すっかり食べ終わった頃にもうひとりが到着。この3人で集まれたのはかなり久しぶりで、短い時間だったけど嬉しくて愛しい瞬間だったな。あなたたちのことが大好きだと思った。旅の話になって、尾道のいい旅プランとか、大阪の美味しいカレー屋さんを教えてもらった。地下鉄の駅で握手して別れた。

 親友は別件で渋谷に行ってたので、わたしはひとりで映画を観に行くことにした。清澄白河からほど近い場所に最近できたミニシアター・Strangerで、ジャン=リュック・ゴダールの特集上映をやっていて(これは映画館のオープンを記念した特集だったのだけど、先日ゴダールが亡くなったので図らずも追悼上映になってしまった)、次の予定も清澄白河だったので行くしかないと思って行ってきた。本当は全部観たかったけど(特に「JLG /自画像」とか「勝手に逃げろ/人生」とか)、そんな時間はないので「フォーエヴァー・モーツァルト」だけ観た。全然理解できなかった。変な映画だと思った。音楽は途中で途切れるし、画面に映ってない人物たちの会話が聞こえるし、急に爆弾が降ってくるし。「演劇」や「映画」という要素に「戦争」が絡んでくることで、不条理な悲しさが漂う。その悲しさが、自分の中にあるさみしさの輪郭をなぞるので、少し泣きそうになった。からだのかたちだけじゃない、自分の輪郭を浮き彫りにする映画にまた出会えた感覚。「眠っていても、覚醒できているのは、哲学と友情のおかげだ」。
「映画は宇宙だ…」みたいなセリフがあったと思うんだけど思い出せない。この映画のことも、ゴダールのことも、そもそも映画という存在すらも、果てまで理解できることはないという意味で「宇宙」だと思った。わたしはゴダールの映画のわからなさが好きだ。だって何度観たってきっと理解できないんだけど、好きにならざるを得ない。どんなところが、どんな風に好きかもうまく説明できない。できる気がしない。ゴダールの映画は言葉の力を奪う映画ばかりだ。
新しい映画館は音響が素晴らしくよかった。20人くらいはお客さんが入っていただろうか、こんなに変な映画を観にきている人たちは文字通りみんなStrangerだと思った。観れてよかった。

stranger.jp

 

 映画館から東京都現代美術館まで、歩いて行けるのが嬉しい。東京はいい美術館と映画館がいっぱいあっていいなと思う。現代美術館では「ジャン・プルーヴェ展」と「MOTアニュアル2022 私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」という二つの展示を観た。
「プルーヴェ展」は、先月東京都美術館で観たフィン・ユールの展示と似てるのかなと思ってたから、全然毛色が違くて驚いた。プルーヴェの椅子の後脚がやけにしっかりしているのは、彼が前脚を浮かせて後ろに寄りかかるのが好きだったかららしい。ポルティークと呼ばれる構造体と、ファザードとなるパネルを使った解体・移築可能な建築は本当にすごいと思った。
「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」の方は4人のアーティストの展示で、中でも高川和也さんの映像作品がずっと頭に残っている。これは高川さんが自身の日記をラップに変換しようと試みる様子を捉えたドキュメンタリーで、日記に書かれた言葉がラップという形で輪郭をもつ感じとか、グループワークみたいな形で共有されることで日記を書いた本人から言葉が離れていく感じがあった。これを観ながら、わたしがこうして日記を書いたりたまにPodcastで喋ってみたりしていることもこれに近くて、言葉に輪郭を持たせている行為なのかもしれないと思った。言葉を手放す感覚というのは前にも日記に少し書いたことがあるけど、同じような表現にここで出会えるとは思えず、自分でもわからないけど泣きそうになった。この時の泣きそうになった感覚はまだうまく言葉にできなくて、つまりはまだ手放せなくて、涙は何かの色に染まる前の、名前を付けられる前の、まだ何にもならない、透明な形のない水。
美術館で展示を観ることはすごく好きだけど、わからなさはいつも伴っていて、これも「宇宙」だなと思ったし、わからないことをわからないまま居れるのが好きだなとも思った。地球も含めたこの宇宙にはわからないことばかりだ。

www.mot-art-museum.jp

www.mot-art-museum.jp

ここまで長々と書いておいてここからが今回の旅のメインテーマなんですが、国立の「台形」に行ってきました。念願。メニューには食材だけが羅列されていて、見たことも食べたこともないお料理ばかり、どれもとっても美味しかった。アルコールペアリングのコースだったので、ドリンクも含めてわくわくするような、不思議な体験だった。もうすぐこの日から1週間が経とうとしているけど、どの料理の味もいまだに思い出せる。。料理でこんなに感動したのは初めてでした。また季節が変わったら行きたいな。

牛蒡 牛肉 いくら

ラム肉 飛び子 ヨーグルト ミモレット

帰りの夜行バスの中で、カネコアヤノの弾き語りのアルバムを聴いていたら「感動している君の眼の奥に今日も宇宙がある」という歌詞が聴こえてきて、今日のことだと思った。映画にも、アートにも、あなたの眼の奥にも、わたしの中にも、宇宙がある。宇宙があるものとして、愛していきたい。

 

とんでもなく長い日記になってしまった。。(約4000字)
1ヶ月くらいかけてゆっくり噛み締めていきたい過程を、2日間に詰め込んでしまった感じ。あなたとの旅はいつも充実感ではち切れそう。

ここまで読んでくださった方がいたら感謝しかない…ありがとうございます。