もっとも大いなる愛へ

あ、わたし、もう大丈夫だ。この街で、まだまだ生きていける。

仕事の疲れとお酒で得た眠気で布団に潜り込んで数時間、ふと目が覚めたタイミングで、はっきりとそう思えた。AM5:34。眠っていた間に、同じ街で暮らす人たちからいくつかメッセージが届いてることをぼんやり確認する。そして一昨日観た「もっとも大いなる愛へ」のことをまた思い出す。

昨日観たのは映像だけれど、この舞台を観ながら、今自分が抱えているあらゆる不安すべてを取り出して可視化されているような感覚を覚えた。舞台演劇ってこんなこともできるんだ。脚本としてこうして書き起こすことも、擬態して演じることもできる。今までは塞ぎ込むばかりで直視できなかった自分の本当に嫌な部分と、こんなふうに向き合える手段があるんだと初めて知った。さっきまであんなに重たかった気持ちが、一度取り出して可視化して、再び自分の中に戻ってくる頃にはずいぶんと軽くなっているような気がした。不安デトックス。

舞台の演劇のすごいところは、ステージ上にいる役者さんたちと、それを観るわたしたちの間に流れる時間が全く同じだということ。映画だったら、例えば朝から夜の場面にパッと映像を切り替えれば時間の経過を表現できたりしちゃうし、時間をかけて撮ったシーンでも一瞬で終わっちゃったりするから、映像を撮る側と観る側で、本当の意味で同じ時間を共有することはできないんだけど、舞台ではそれができる。現実と同じ時間がステージにも流れていて、映画より人生との距離が近いと思う。そして、時間だけじゃなく空間も共有しているから、役者さんの体の動きや声のトーンが直に伝わってくる。映画のような映像そのものには温度はないけど、舞台だと「体温」がちゃんと分かる。体の震えや熱が伝わって、あなたもわたしも今生きているんだと実感する。舞台演劇のこういうところが好きだ。

もうひとつ、大丈夫だと思えたのは、今までどれだけ塞ぎ込もうとも、醜い姿を晒そうとも、それをすべて受け止めてくれて、それでもなお自分を大事にしてくれた人がいることを思い出したから。わたしが諦めそうになった自分のことを、諦めずにいてくれた人たちがいるということ。「もっとも大いなる愛へ」の話でいう主人公たちのような。あなたたちの存在だけで、この世界のこと、生きることを諦めない理由になる。それを愛と言うのか何と呼ぶのか、正確なところは分からないけれど、舞台のタイトルのように「もっとも大いなる愛」と呼べるのではないかとわたしは思う。まだまだ未熟で不安定な自分だけど、もし、わたしが誰かにとって、この世界や生きるのを諦めない理由になれることがあるのなら、それだけでもう十分だ。

もう起きてもいいかなと思ったけど、時間はあるのでもう少しだけ眠ってみる。いい時間になった頃にシャワーを浴びて支度を済ませ、ルームメイトと一緒に朝ごはんを食べに出かけた。お店までの道を歩くのが気持ちよくて、自分が朝こうして歩くことが好きだったことを身体が思い出す。ところどころに咲いている桜も見頃を迎えていて、街はやさしい明るさを帯びている。

あ、わたし、もう大丈夫だ。この街で、まだまだ生きていこう。