20230825 それはとても青く満ちた日/深海と平泳ぎ

 空がとても青い朝。休日。洗濯したシーツやタオルケットを干して、午前中のうちに乾いてしまうくらいに晴れていた。青空の下でやわらかな風に揺れるシーツの白さ。水筒につめるアイスコーヒーを淹れて、正午前には玄関を出た。

 

 明るい青で満ちた深海の中を、歩く。

 

 夏の湿度の高さのせいなのか暑すぎる気温のせいなのか、ここ最近はうまく呼吸ができないし、肌に纏わりつく空気にも水を含んだような重さがあって、ずっと深海にいるみたいな気分でいた。深く潜れば潜るほど、身動きが取れなくなって苦しくなるばかり。深海とは夏のことでもあるようで、わたしは日ごとに夏が苦手になっていた。

 そんな深海の中を歩いて美術館へ。長野県立美術館の葛飾北斎展を観に行った。リピート割で半券を持っていくと300円引きになるからと、母が先日わざわざ半券を届けてくれたので行かないわけにはいかなかった。展示は明後日までで、明日も明後日も仕事なので今日が行ける最後の日だった。実際とてもいい展示で、もっと早くに来ればよかったと展示を観ながら思った。

 小布施の祭屋台の天井絵の、丸くて大きな波。その真ん中に渦巻く藍色は海の底の色にも見えて、ああ、わたしは今本当に深海にいるんだと思った。渦巻く藍色には水しぶきが、星空のように描かれていて、宇宙みたいだとも思った。深海は宇宙。

 事前情報をほとんど知らずに行ったので、富嶽三十六景の全部が展示されていることに展示室に入ってから気がついた。観ながら最初は永谷園のお茶漬けに入ってたカードを思い出したし、どこかの会話から「お茶漬け」というワードが聞こえた気もしたので同じことを考えている人がいるもんだなと思った。富嶽三十六景は大胆な構図のものも多くて観るのに飽きることがなかったけど、何より色味がとても好きだった。特に、ベロ藍を使った青色がとてもきれいで。青のグラデーションだけで絵に奥行きや立体感をもたらしたり、水の動きや天気の変化までも表現していてすごいと思った。北斎の青が好きだと思った。

 長野県立美術館のすてきなところは、メインエントランスを出た瞬間に見えるランドスケープの美しさだと思っている。美術館や映画館のような建物から外に出る瞬間というのは、屋内で観てきたものについて思考を廻らしつつも現実世界に戻る瞬間、でもあると思うのだけど、そんなときにこんな景色が見れたなら、現実がそう悪いものではないと思えるような気がした。美術館から出た瞬間に、深海だって別に悪い場所ではないと、たしかにそう思えた。

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 深海にいるみたいだなあとそればかり考えていると、そういえばわたしは泳ぐのが好きだし得意だった、ということを思い出した。保育園の頃から小学校を卒業するまで7、8年くらいの間、毎週スイミングスクールに通っていたので、4種目の個人メドレー100mを難なくこなせるくらいには泳げたんだった。通った年数のわりに大して速いタイムは持ってなかったけど。特に平泳ぎとか、プールの少し深いところで静かにけのびをしたりするのが好きだった。平泳ぎだと疲れないからいくらでも泳げたし、動きにスピード感があんまりなくて静かなのがいい。静かだけど、ちゃんと進めているのがいい。

 

 そうか、深海で平泳ぎ、してみればいいのか。

 

 平泳ぎなら苦じゃない。どこまでも自分のスピードで、行きたいところに行ける。藍色の深い海で平泳ぎするのはなんなら楽しそうにも思えてきて、水を含んだような重たい空気をなんとなく掻いてみた。

 腕で曲線を描く。ふわっと空気が動く。水が動く。

 久しぶりにこの動きをしたなあ。久しぶりだったけど、からだはちゃんと覚えているようだった。そうか、わたしはこうやってここまで進んできたし、そうしてどうにか生きてきたんだと思った。これからもきっと、平泳ぎでなら進み続けられる気がした。平泳ぎで深海をゆっくり泳いでいこう。速くなくていい、静かな動きで、でもしっかりと距離を進めて。そうしたらどこに辿り着いて、何が見えるだろうか。

 そんなことを考えているうちに駅まで着いたので、電車に乗って上田まで向かった。毎夏観ている『君の名前で僕を呼んで』が上田映劇で上映されているので、今年はまだ観ていなかったし久しぶりに映画館で観ようと思っていた。電車に乗っている間も空はずっと青くて、深海の中を電車で移動しているみたいに思えてちょっと楽しかった。映画はもう何度も観ているはずなのに、新たな発見や思考の動きが止まなくて、自分でもそのことに驚いた。やっぱり好きな映画だし、すごい映画だと思った。観ながら考えたことについては、ここに全部書いてしまうと文字数が爆発してしまいそうなので別で書こうと思う。忘れないうちにちゃんと書いておきたい。深海で観るにはぴったりな映画だった。今日1日も、この映画くらい青く満ちた日だった。