20231031

図書館で借りた滝口悠生さんの『ラーメンカレー』を読んでいる。中華鍋でスパイスカレーを作る描写がとても良くて、スパイスカレーを作りたい気持ちになった。明日とか明後日あたりには作りたい。ここ1年ほど定期的にスパイスカレーを作ってきたので、必要なスパイス類は大体揃っている。ホールのカルダモンだけ切らしているのだけど、どうしようか、カルダモンは好きなので入れたいけどちょっと高いからなあ。

今日は早めに起きて、祖母と紅葉を見に出かけた。祖母は外に出かけるのが好きな人で、この時期は毎年いろんなところに紅葉を見に行っているはずだし、数日前にも別の名所に紅葉を見に行っていたのに、まるで今日初めて見たかのようにその美しさや色の鮮やかさを素直に喜んでいた。わたしはその姿を横で見てとても素敵だなと思う。飽きるほど浴びるほどの紅葉を見たけどちっとも飽きてないみたいだった。家に帰れば家族(祖母、母、あるいは妻)としての役割があり、毎日それを全うしていながらも、今日みたいにこうして外に出て「自分」になること、「自分」として楽しむことも忘れていない姿はすごいなと思った。そんな祖母をもてていることがとても嬉しい。もちろん、わたしの知らない苦労や悲しみ、みたいなものもあると思うし、何となく想像できなくもないけど、きっと教えてくれない気もしている。きっとだけど。祖母の口からネガティブなことをあまり聞いた覚えがない。

こんなふうに、祖母のことを「祖母」としての一面だけでなく、ひとりの人間としての側面を捉えられるようになったのは、おそらく離れて暮らしているからだと思う。これは父や母や妹にも同じことが言えて、離れて暮らしてみることで、いい意味で他人同士になれた実感があった。父にも母にも妹にも、続柄や家族の役割には収まらない、ひとりの人間として感じている喜びがあり、悲しみがあり、憤りがあるということを、距離を置いて生活することで少しばかり知ることができた。同じ屋根の下で長い時間暮らしていると、家族が他人であることを忘れてしまう。けれどいくら血のつながりがあっても、同じ人間から生まれてきた者同士だとしても、どうやったってわたしたちは異なりあうのだから、時々家族であることを忘れて、いい他人同士になれればいいなと思う。家族だって、最初は他人同士が集まってはじまるものなのだから。

わたしたちは家族、そして(いい意味での)他人同士。

f:id:shukujitsu0836:20231101010629j:image
f:id:shukujitsu0836:20231101010633j:image